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私事

一年で一番の繁忙月12月スタートの1日、土曜日でしたが、急遽休ませて頂きました。予約変更して頂いたお客様、申し訳ございませんでした。
11月30日金曜日の午後から1泊で実家のある新潟県旧中条町に行ってきました。僕の弟の通夜、葬儀参列の為です。
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人口約3万人の地元胎内市。お通夜には300名を超える方達が参列してくださりました.
数年前に肝硬変を患った弟が11月27日に亡くなったのです。享年39歳、今年の9月30日に満38歳になってから2カ月あまり。
11月27日火曜日昼頃に地元にいる叔母から弟が危篤と知らせを受けました。2日前の25日に意識、反応がなくなったと聞いてからわずか2日目でした。
意識がないと聞いた時点では、奇跡的な復調もと思いましたが、危篤となりついにその時が来るのではと用意を急ぎました。
クルマで帰省するにあたり、万が一の雪にも備える為にスタッドレスタイヤに交換。タイヤショップで叔母に弟の様子を聞くべく電話した時、まさに弟最期の瞬間とほぼ同時でした。
亡くなったのが火曜日、その後のお通夜、葬式の日程が決まるのを待ちました。金曜日が友引の為、土日に葬儀があたるのではないかと。
大事な弟との別れにもかかわらず、もし土日に葬儀があたったら参列せず仕事することも考えてしまいました。
27日火曜日夜、ようやく式の日程が決まったと叔母より連絡、30日お通夜、1日葬儀の日程でした。金曜日は元々休みで、1日土曜日も幸いにまだご予約が少なく、予約の方全員に連絡が取れて予約を調整できました。
子供5人の我が家、12月1日期末テスト最終日の中1次女以外は金曜日休みを取ってくれました。
次女の期末テストが終わった昼頃、家族7人で弟が待つ地元へクルマを走らせました。
お通夜が18時から、スムーズにいけばお通夜が始まる前に到着できる予定です。
新潟へ帰る際、今は圏央道ができて楽になりました。町田からは愛川相模原ICで高速に乗ります。
その高速まで思いのほか渋滞。そう!その日11月30日はいわゆる5、10日、しかも月末で週末の金曜日。一般道が混むのは必然でした。
普段より時間かかって高速に、小1時間走ったところでにトイレ休憩。
運転中、普段は何か急な連絡ないか気にするスマホをトイレ休憩まで見るのを忘れていました。
叔母から13時半にLINEが。
「今から出棺し荼毘にふします」と・・・
まったく分かっていませんでした。痛恨の極み。
一般的には葬儀後火葬の流れ、てっきり1日の葬儀後の火葬と思い込んでいました。
地元の慣習では、葬儀前に火葬だったのです。思い起こせば、何度か参列した葬儀の際いつも火葬後でした。
火曜日から出発の金曜日まで、仕事の事などばかり考えて、まったく気づく事できませんでした。後悔しかありません。
クルマを走らせ、関越トンネルを抜けると、雪はないものの景色は一変、冬のような空でした。
お通夜が行われる会場に直行、着いた時刻は17時半過ぎでした。
会場周辺はクルマの駐車場待ち状態。既にメインの駐車場はクルマで溢れ、近くの第2駐車場へ。
会場の遺族控室に入り、急いで喪服に着替え。ロビーは人が大勢。
気丈に対応する母とようやく顔を合わせて間もなく会式でした。
弟の生き方を象徴するような式だったような気がします。母と叔母がなんとなく想定したお通夜の参列者200名に対し、300名以上参列頂きました。
子供のころからずっと地元で育った弟。地元に根差して生きてました。
紆余曲折を経て、母が元々やっていた店を継いでショットバーをオープン。
お祭りが大好きで、祭りの際は店の稼ぎ時にも関わらず完全休業で山車の会で大活躍。
僕自身地元を離れ、弟を全く理解していなかったので、葬儀は密葬、家族葬でこじんまりと行えば良いのにと思ったのでしたが完全なる僕の勘違い、思い違いでした。
実感がまったくわきません。
父が亡くなった時もそうでした。なんだか他人事のような。それでも、父の棺を最期火葬する為に鉄の扉の中に入れたときは号泣してしまいました。
お通夜に向かう道中、式の合間の時間とにかく暗くならない。
我が家の4歳と6歳の息子たちのパワーは凄いのでした。
悲しい場を悲しくさせない。悲しませてもらえないような。
昨日地元からの帰路、そんな子供達がクルマの中で寝静まっている時ふと泣きそうな瞬間が何度かありました。
こういう時って泣ける方がいいですね。なんだか今のところ、ケリがつかないです。気持ちの整理がつきません。泣いてしまいたいです。
一方で、チビ達の笑顔やバカな話を聞いて、幸せというか、救われるのも確かです。
葬儀の後、住職から列席者に話がありました。
僕の父が亡くなった20年ほど前から親交のあるお寺の住職。何年か前に地元のクアハウス(お風呂)で弟と会われたそうです。その際に弟の病気を知り、それが最後に会った時だったそうです。
住職がこうおっしゃっていました。人の幸せは他の人や誰が決めるものでもない、自分が決めるものであると。38歳で亡くなった弟への言葉でしょう。
弟に対しては、気前がいいとか太っ腹とか、人付き合いが良いとか顔が広いとか、そのような言葉が多く聞かれました。そのように思われるのは、きっと亡くなった僕の父の血だと思います。
僕はといえば、弟とは逆の性格というか、立場というか。父のようにならないようにと子供の頃に思ったほどなので。
父が亡くなったのが51歳、太く短い人生だったその父と比べても早すぎる弟の38歳をどう受け止めていいものか。
こんな兄で弟には申し訳ない気持ちでいっぱいです。
(書きかけ)
この記事書きかけから3週間以上が過ぎました。本日12月29日、年内営業残り2日の朝です。
弟の葬儀に際し実はあまり悲しさはありませんでした。とりわけ亡骸との対面がなかったことは大きかったと思います。
しかし、葬儀から戻ってきてからは精神的にやられました。なんとも言えない虚無感、喪失感。
男兄弟、離れて暮らしていることもあり関わりが薄かった弟でしたが、あの日から毎日弟のことを思い出しています。
父が亡くなった時と同じ、生きている時は離れている気しかしなかったのに、死んだ途端に身近にいつもいる感じ。
そしてあれからもう1カ月が過ぎました。
例年と比べて怖くなるほど12月前半のbleuは静かな日が続きました(^^;)
今年のお客様は年末集中、最後の最後に年末らしくなった感じです。
人間暇だと気持ちも良くない方向に引きずられますね。先日まで何か切ない余韻を引きずり、ネガティブな事ばかり考えていました。
ようやく忙しくなり、気持ちも少しだけ持ち直しました。
気持や感情、心がおかしくなりそうだった時、はじめて弟の気持ちの一端が理解できた気がしました。
弟は5年ほど前から肝硬変になり闘病していました。肝硬変の原因はアルコール、アルコール性肝硬変でした。
西原理恵子の著書で、アルコール依存症患者はだらしがないとか人間性に問題がある訳ではないと書かれていたのを読んだことがあります。アルコール依存症患者は体質的にアルコールがまるで覚せい剤のよう働きをしてしまうみたいな事が書かれていました。
弟が最初に肝硬変で病院に救急搬送された際、正直なんでそんな事になったのか理解できませんでした。そんな事になるまで酒を飲んでいた印象がないのです。
肝硬変になる前、僕が帰省の際に会った時にアルコール依存の気配は全く感じなかったのです。
実家の母などから聞いていたのは、パニック障害になったらしいとのことぐらいでした。心のバランスを崩し、仕事ができない事があるとは聞いていました。
それがなぜ肝硬変になるまでアルコールに依存していったのか、理解が出来なかったのです。
しかし、今回僕自身わずかではありますが実体験で理解しました。
精神的、心の不調をアルコールで紛らそうとする。アルコールの効果で飲んでいる時不調が紛れやすくなります。
体質的にあまり酒が飲めない、またはたくさん飲めない人でもそういう事をきっかけに飲めるようになってしまう事もあるようです。
元々飲酒習慣のある人の場合、飲酒量がどんどん増えてしまい、そのうち幾ら飲んでもストップが効かなくなる、それがアルコール依存症なのでしょう。
普段からそこそこ晩酌で飲んでしまっている僕ですがあせあせ(飛び散る汗)
最近はさらに飲んでしまっていました。
そして、なんとなく弟の気持ちの少しが分かってしまった気がしました。
辛かったと思います。自分でも分かっていながら、どんどん抜けられない沼地にはまっていくような状況だったと思います。
もしアルコールではなく他の薬物だったら、アルコールよりむしろ自分の身から遠ざけるのは容易かもしれません。しかし、アルコールはコンビニでも買えてしまうのです。
きっと毎日アルコールをやめたいと思っていたはずです。でも、精神が壊れ、それができず、悪いスパイラルから抜けられず苦しんでいたに違いません。
弟の事をこれからもずっと考えていきます。
書きかけのblogも今ここで書き終え、生きている僕達は一生懸命頑張るのみです。
誠!これから今までできなかった話たくさんしような。今まで話せなくてごめんな。とりあえず、俺は仕事頑張るから、ひとまず、じゃーね!!

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私事

9月火曜日

残暑見舞い申し上げます。
暑いながらも、日に日に傾いていく太陽に夏が過ぎていく気配を感じては独りおセンチになります(笑)
さて、お知らせです。
毎週火曜日サロンに出ていませんでした緒形ですが、9月は火曜日出勤します。火曜日休みのあなた!平日休みのあなた!
まったり営業(かもしれない)の火曜bleuに是非お越しください♪
そうそう、スタッフblog絶賛更新中です!
長沢がカワイイスタイルアップしてくれましたー
8月後半定休日はございません。9月は17日が定休日です。
皆様のご来店お待ちしております!

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引っ越し完了その3

銀行に抵当権解除をお願いしてからしばらくの間、町田市との交渉が進みました。
町田市の担当さんが動いてくれて、新年度前に補償額の叩き台提示がありました。
公共事業の立ち退き、一般的なイメージでは「さぞかし儲かるんでしょ?」ですよね。
僕も思っていましたが、そんなことはありませんでした。
補償金の算定が、とにかくすっきりさっぱり、公明正大なのです。専門家がはじき出した補償額は事細かく、それを積み上げた金額の総額を提示されます。
基本的に提示される内訳は、土地幾ら、建物の補償幾らという感じで、細かい部分は聞かないと開示してくれません。
土地については、近隣の土地取引価格の仕入れ値と販売価格の中間の提示でした。つまり、同じ土地が補償金だけでは買えないのです。
その代わりか何かは知りませんが、建物の補償はいわゆる減価償却は大きくされない金額でした。
僕の想像よりも早め早めに町田市は動いてくれました。とは言え、町田市から東京都、国にお伺いを立て、それを受けて町田市が動くというなかなかまどろっこしい手続きが4月から5月まで続いたのでした。
ようやく新年度、先が少し見えてきたので銀行に改めて抵当権解除について、いよいよ動いて欲しいと連絡をすると、あらビックリ。以前わざわざ出向いて頭下げた担当者さん、転勤で既にいませんでしたあせあせ(飛び散る汗)
引継ぎされたという担当者さんも、はっきり言って案件があることを知っている程度。まったく進捗もなく、事態は一時棚上げなのでした。
ようやく先が見えてきたと思った僕は、どうにかして、6月中に全て終えたいと考えたのでした。
そして、町田市も担当者さんが銀行と連絡を密に取ってくれてのです。しかし、まあ銀行の話しが進みません。
僕と町田市で連絡しているのが銀行の支店の人。抵当権を設定しているのは、銀行の住宅ローン部門のさらに抵当権を管理している別会社。支店の人曰く「保証会社と本部とどのような流れにするか検討中」という状況が何日も続きました。
銀行が難色を示した理由の一つに、町田市が支払う補償金を、銀行が直接受け取る事が出来ないことでした。
どういうことかというと、銀行は、僕のローンを必ず回収しなければいけない、だから町田市が支払うお金を直接銀行に入れてもらいたいというのです。
しかし、町田市のルールではそれはできない。かならず、売り主である緒形宛にしか振り込めないと言うのです。
ホントに困った話しです。町田市の担当さんは「ならば、市役所の窓口で現金を渡すので、緒形さんと銀行さんでその場でやりとりも可能です」とまで言って下さいました。
結局その方法は銀行が受けませんでした。そして、町田市の譲歩案で結局銀行も抵当権を解除してくれたのでした。
このあたりの話しが5月末から6月頭の事でした。
それと並行して、今度は引っ越しの手配、改めて借りるローンの実行、引き渡し、さらには立ち退き後の取り壊しやもう山盛りの案件、ハードルを6月中にこなしたのでした。
はぁ~、もしかして、この話つまらないですか?(爆)
自分でも、3回にも引っ張っておいてなんですが「美容室のblogとはとてもじゃないが思えん!」と感じましたわーい(嬉しい顔)
今年年初は「もしかしたら次の家買えないかも。数年は賃貸で我慢かも」と考えていました。
子供4人でしかもドッタンバッタンうるさい生活音の我が家族です。賃貸に住まわせてもらえるのかさえ思ったら、かなり不安でたまりませんでした。
正直ずーっと大変だったんですよ(^_^;)
でも、これは私事であって仕事は別。気合いを入れ直して、あらためて仕事頑張ります!
次からは仕事のblog書くぞ!
引っ越し完了 完結

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引っ越し完了その2

前回からのつづきです。
自宅立ち退きにあたり、転居先決定。
中古住宅購入契約までこぎ着けたのが2月中頃。
売り主さん、実はあまり売りたくないのが本音ということも書きましたよね。
今回僕が買ったような家の売買、売り主買い主はお互い個人です。そこに仲介業者が入って契約を結ぶので、主導権は完全に個人同士。
売り主、買い主双方「や~めた!」と言うこともできます。ただし、違約金がかかるのですがあせあせ(飛び散る汗)
ですから、僕としてはさっさと売買完了して、色んなしがらみとバイバイしたいわけです(ダジャレ)
しかしながら前回も書いたように、そこから約4~5ヶ月も時間を要するのです。しかも、その間に難関とも思えるハードルがありました。
ハードル
その1 4月から始まる新年度で道路事業の計画、予算変更の可能性が全くないわけではないこと。
その2 計画、予算そのものに問題なくても、実行時期が遅れる可能性があること。
まずはこれらにやきもきさせられました。役所の仕事の概念は基本年度をまたがないんです。ですから、4月以前に新年度のやりとりが基本できません。参りました。
まずここで、ゴールの時期が非常に不確定でした。不確定故に、売り主さんの気が変わらないか非常に心配でした。
そして3つめのハードル。これがまた大変でした。
それは、今まで住んでいた家のローンの残債を払う前に自宅の抵当権を銀行に解除してもらう必要がある、です。
住宅ローンで家を買うと、お金を貸した銀行は抵当権を設定します。僕が支払い不能になった時の為にです。
抵当権を解除してもらう為の唯一の方法、それはローン完済です。
しかし、ローン完済前に解除してもらわなければいけなかったのです。
それはなぜかというと、立ち退きにあたり、僕は町田市に自宅を売却するのですが、その売却契約する際物件に抵当権が設定されていると契約できないのです。
ローン借入先の銀行は某銀行の大船支店。そこに町田市の担当さんと一緒に出向いて、頭下げて抵当権解除をお願いしました。
いや、懇願しました(笑)
しかしあれです、ローン借りているこっちはお客なのに、銀行の人って「いつもありがとうございます!」って姿勢あまりないですよね。
普通の取引で銀行行ったら、「どっちが客なのか分からないですね~」の嫌味の一つも言いたいところです。
しかし、それをぐっと飲み込んで低姿勢でお願いしました。
こういう公共事業の立ち退き、銀行担当者なら理解あると思いきや「今まで経験がない。レアケース。」とあっさり言われました。
それでも、担当者はともかく銀行内部では時折ある事例ということで、動いてくれるとのこと。これで一安心・・・じゃあないんですよね。
担当者の雰囲気から、微妙な感じプンプン。しっかり動いてもらえるのか不安ありありでした。
そして、事実不安はある意味で的中したのでした。
またつづく

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引っ越し完了

blog書く!宣言からあっという間にウン日経過あせあせ(飛び散る汗)
一昨年bleuの引っ越しした時と同じぐらいの、数年に一度あるかないかの疲れた身体でblog書けませんでした。はい、言い訳です(反省)
以前も書きましたが、町田市の道路事業により自宅立ち退きすることになりました。
「のんびり町田市からの話をのらりくらりかわして、あと5年ぐらい先延ばしできるかな」なんて僕の思惑とは裏腹に、平成25年度中の立ち退きに。
今年年明け1月から転居先を探し始めたところ、すぐ近くに中古の住宅が売りに出ているのを発見。
内見して気に入り、即買い入れ申し込み。しかし、通常ではあり得ないハードルが山ほどあり、正直な気持ち「多分買えない」と思っていました。
最も大変と考えていたハードル。それは、今までの自宅で借りていた住宅ローンを立ち退きの補償金で精算した後、再度住宅ローンを組むこと。
事実ほとんどの銀行から借り入れNGの回答でした。しかし、不動産会社担当の方が頑張ってくれました。政府系の、住宅支援機構のローン、よく耳にするフラット35でなんと奇跡の融資OKを頂きました!
富士山よりも高い気がしていたハードルを越えてしまいました。不動産屋で働いている義父も「多分99%融資は無理」と言っていたほどです。
よっしゃこのまま突っ走れ!と言いたかった。だけど、まだまだハードルだらけでした。
中古住宅購入なので、売り主さん(今回は個人の方)に売却の了承を得る必要がありました。
売りに出していた家なので、普通はあっさり了承得られます。
しかし、今回の件はそうそう簡単ではなかったのです。なぜか?それは今回の売買にあたり、まず僕と町田市の間で補償交渉が成立した後、さらに今まで住んでいた家のローン借入先に色々お願いする必要があったり。さらには、それら一連の流れが平成25年度にならないと動かない=時間を要するからなのです。
役所は年度単位で動いているので、新年度にならないととにかく事が始まらないのです。
その物件、売りに出したのが昨年の夏だったそうです。そして、僕が購入できそうな時期が、最短で今年の6月。
融資の件クリアも、今度は売り主さんのOKを頂くのにさらに数週間待たされました。
結局売り主さんの承諾を頂き契約に至ったのが2月中頃でした。
よくよく話しを伺うと、承諾頂くのに時間を要した意外な一因が分かりました。
それは、売り主であるご主人様が「実は家を売りたくない」ということでした(滝汗)契約の際に初めてお会いして、いきなり口から出たのがその言葉。
契約の段階にもなって出た爆弾発言でした(笑)
そのご主人様ある意味奥様に説得され、いや突っ走られてのご売却とか。ご家族の都合で、奥様が決めて、ご主人が従ったそうです。
契約調印の間「やっぱり契約やめるー!」と言い出さないか冷や冷やの契約でした。
普通なら、契約したらほどなく売買、引き渡しとなりますが、今回の場合はそこから予定で4ヶ月。
しかも、売りたくない売り主さんを心配しながらです。
後は果報は寝て待てのごとく、ひたすら6月を待つのみ・・・
なんてそんなに甘くないのだー
その後まだまだハードルは続く。一山、二山クリアにして、転居先の鍵をもらうまで安心できない日々が続いたのでした。
長くなったのでつづく!

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夏休みありがとうございました!
休みの間子供と連日プールで遊んでましたわーい(嬉しい顔)
子供が産まれてしばらくしてから、夏が大好きになりました。
好きすぎて夏の終わりはおセンチになりますあせあせ(飛び散る汗)
なんで夏がそんなに好きなのか?考えてみました。
冬は風邪ひいたり、体調崩しやすいから。冬は日照時間が短いから。とかなんとか、色々思うところがあったのですが、今回の夏休みを過ごしてみて分かりました。
夏が好きな理由は、子供が夏休みで、毎週火曜日や僕の夏休みにどこかに出掛けられるから。そう思いました。
仕事柄なかなか子供と休みが合いません。年間十数日。
そして、今春は長男が中学生になり、いよいよ家族みんなで出掛けることが難しくなりました。
あっという間ですね。
夏もあっという間。子供と一緒に出かけられるのは残り3、4回。あ、うち1日は講習会でした(^_^;)
おっと、遊びもいいけど仕事も頑張らねば!
8月美容室は比較的空く時期です。特に平日は空いておりますので、狙い目ですよー!
8月もよろしくお願いします!

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夏休み

暑中お見舞い申し上げます。
暑くていいですね!正直外にいると溶けそうな熱気にやられそうですが、短い夏を大事に過ごしたいと思うようになりました。それって年のせいでしょうか?
さて、緒形は夏休みを頂きます。今週は明日から金曜日まで休みを頂いております。
仕事抜きでは3月末以来の連休です。お許しをm(__)m
ところで、bleuのblogですが、最近は僕のblogではなく、bleuスタッフblogに頑張ってもらっています。
そのスタッフblogで最近笑えたのが山里のエントリー。タイトルがすずめばち
なぜかすずめばちの生態について熱く語っています。しかも次回に続くらしいです(笑)
山里に「なんでそんなにすずめばちを熱く語っているの?」と聞いてみました
すると、どうやらすずめばちに遭遇して「それが怖くて嫌だったので、それで調べたんですよ」とのことでした。
すぐ調べてしまいたくなる病の僕としては、その気持ち分かるー(爆)
bleuスタッフblogどうぞよろしくお願いします!

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義父@シルシルミシルサンデー

今晩放送のシルシルミシルサンデーに、義父が出演(予定)します。(名前は山田です)
こう↓いう企画で

三浦半島の豪邸物件を紹介します。
多分もう20回くらいTVに出ている鎌倉の不動産会社勤務の義父。素人らしからぬ押し出しで、民法キー局はもしかすると全局制覇しているかも知れません。
過去には金スマで、安住&小林アナと寸劇も披露していました。その際まだ存命で出演していた飯島愛
には「バブルの頃の不動産屋さんのにおいがぷんぷんする」とお褒めの言葉を頂いていました(笑)
そんな義父がTVに出る際は必ず教えてくれるので、うちの奥さんにも「ママ友にも宣伝したら」と言うのですが、ちょっと教えるのは微妙のようです。
やはり、僕にとっては義父ですが、実の娘の奥さんからすると何か複雑な乙女心があるのでしょうね~どんっ(衝撃)
とは言え、全国ネットでしかもシルシルミシルときたら、こりゃ宣伝しなきゃあいけませんよね。
シルシルミシルといえば、バカリズムの毒満載のナレーションがお約束。しゃべりすぎる素人出演者には「話が長そうなので」とかバッサリ斬り捨てたりは当たり前。
正直自分が出演したら、どんなナレーションをかぶせてくるのかかなり怖いと思う。でも、義父がいじられると思うと超楽しみ(爆)
さて、みなさんも是非GW最後の夜はシルシルミシルをご覧下さい!

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有名人

すっかりblogがご無沙汰のオガタです。
一昨日から福岡に一泊出張に行ってきました。美容師の僕が出張だなんて言う日が来るとは自分でもびっくりです(笑)
出張に行った理由は、以前から参加している経営の会の全国大会に参加する為です。
その日集まった美容室経営者の数、なんと700名!凄いですね-。
朝6時半に町田からバスで羽田へ。飛行機に乗り込んで見つけた、博多華丸大吉のものまねする方の人(笑)
到着してすぐに日航ホテル福岡で全国大会。
翌日は夜7時の飛行機の時刻までフリー・・・って、何をするんじゃー?(爆)
せっかくポッカリ空いてできた時間を有効活用する為に、もう見たくて見たくてたまらなかった映画「SPEC」をオンラインで席予約。ホテルから歩いてすぐにあったキャナルシティという大規模ショッピング施設のシネコンで瀬文と当麻を満喫!
その後に見かけたのはイジリー岡田と誰か分からないアイドル達。
さらにすぐ後、キャナルシティでE-Girlsというお姉さん達がデビューイベントやっていました。
いやー、福岡出張でこんなに有名人見るとはわーい(嬉しい顔)
あ、そうそう、今日はbleuの隣の隣の店で、瑛太と松田龍平が撮影していました。いや、でも目撃は出来ませんでした。
どうやら、来年放送の連ドラ「まほろ駅前番外地」の撮影のようです。生瑛太見てみたかったなー
以上、出張というタイトルで書き始めたけれど、有名人にタイトル替えた今日のblogでした。お粗末(自爆)

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うどん

明日は2年に一度の大腸内視鏡検査なんです。
年に一度の胃、2年に一度の大腸というペースで念のため検査をしています。
よく検査が痛いとか、大量に飲む下剤が辛いとか聞く大腸検査ですが、僕個人は全然っ平気です!
というよりも、ちょっと修行感があって楽しい?(笑)
いや、それ以上に下剤で腸をスッカラカンに綺麗にするのが、リフレッシュするようで案外嫌じゃないんですよね。
とは言え、今日は朝からお粥か素うどんしか食べられません。そして夜は禁酒。せっかくの休前日なのに、それが唯一嫌と言えば嫌ですふらふら
検査後は電車に飛び乗り横浜でセミナー。
このところ経営のセミナーばかりだったのですが、明日はフォトシューティング(スタイル撮影)のセミナーです。
どっちも頑張ってきます!わーい(嬉しい顔)